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2016.09.21 息子の結婚
9月4日は長男の結婚式でした。

親族だけのささやかな結婚式でしたので、とても家庭的ないい雰囲気でした。

はじめの子供は、どうしても親の思い入れが入ってしまいます。

私は、小さい頃から医者になると自分の中では決まっていたのですが、教育熱心な父親にはかなり反発していました。

自然が好きで東京を離れて大学から北海道に来たのですが、親元から離れたいという理由もありました。

私に長男には、北海道の大自然の中で、のびのびと自由にたくましく育ってほしい、

何よりも自分の夢に向かって進んでほしいという思い入れがありました。

そのせいもあり、長男が小さい頃から「お前の夢はなんだ」「夢に向かってすすめ」とよく言っていました。

しかしまだ夢が見つからないときに聞かれることは、結構苦痛だったようです。

結局彼は夢を語らず、家を出て東京へ行きました。

しかしそのお陰で、東京でさまざまな冒険をして成長して戻って来ることができたようです。

札幌では自らIT企業を起業し、苦労しながらも現在は順調に業績をあげているようです。

長男に子供ができたら、どのように育てるのでしょうか。

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今年のお盆休みは、稚内から利尻・礼文を家族でまわってきました。


稚内は、ちょうど今から30年前、私が産婦人科医長として独り立ちしてお世話になった思い出の地です。


私は、北大卒業後、大学で一年基礎を学び、国立札幌病院(現北海道ガンセンター)で一年、


婦人科の手術とがん治療、帯広厚生病院で二年、手術、がん治療、分娩について、


指導を受けました。いずれも手術の名人といわれるトップクラスの先生に直接指導をして


いただくことができたのが、私の大きな財産になりました。


合計五年間の研修をうけて、大学の医局からたった一人で市立稚内病院に配属されました。


稚内から一番近い総合病院は、200kmちかく離れた名寄市立病院です。


しかも冬の稚内はブリザードでしばしは国道が寸断され陸の孤島となります。


このような環境で二年間、ほとんどひとり人で外来、お産、手術をやり遂げた経験は、


私を産婦人科医として大きく成長させてくれました。


同時に、何が起きてもひとりでこなせるという大きな自身に繋がりました。

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当時年間300件程のお産があり、さすがに夜のお産は助産師さんたちが気を遣ってくれて、


真夜中に私が呼ばれることは、あまりありませんでした。


しかし、逆に夜中に「先生、来てください!」と連絡が来たときは、お産が難産であるという


緊急呼び出しです。


覚悟を決めてから患者さんの情報をもとに頭の中でいろいろとシュミレーションしながら、


車で二~三分の距離の分娩室に駆けつけます。


それからはとにかく無事に赤ちゃんが生まれるように必死でお産を取り上げます。


吸引分娩のカップが何回も外れて泣きそうになったこともあります。


そしてやっとうまれた赤ちゃんが泣き声を上げたとき、「よかった!」と


今までの緊張が外れて全身の力が抜けるのがわかります。


気がつくともう明け方になっており、疲れた身体を引きづって医師室へ向かいます。


そんな時、湾の向こうの宗谷丘陵から登り始めた朝日が病棟の廊下に明るく差し込んでいる


幻想的なシーンにぶつかることがあります。


そんな時は、自然の摂理としての命の誕生に立ち会えた喜びを実感します。


そして、急いで家に帰り少し仮眠をして外来診療に備えるのでした。


あの激務は、若いからこそできたのであり今では絶対にできないでしょう。


また、稚内は次男が生まれた場所でもあります。


その意味でも、私にとって稚内は特別な場所です。


幸い、お産扱いをしてくれる義母が間に合わないほど経過は順調でした。


前日の夜から陣痛が始まり、朝の7時に無事次男を取り上げました。


朝のこの時間は、看護師さんが一番忙しく手が足りない時間帯です。


このとき私は、産科医と、産婦の夫と、助産師と、むずがる2才の長男をあやす父親の四役を


同時にこなしたことを覚えています。

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よく「自分の子供を取り上げるのは怖くないですか?」と聞かれることがあります。


実は全く逆で、自分の子供であれば何が起こっても最後まで自分で責任を取れるので、


まったく怖くない、ストレスのかからないお産なのです。







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2016年8月11日、二風谷の奥にある貫気別 旭の杜で、第28回アイヌモシリ一万年祭が8月17日までの日程で始まりました。

主催のアシリ・レラさんは言います。

「一万年前は全ての民は神の子で、大地はウレシパ・モシリ(互いに育ち、育み合う大地)で あったのに。

人間は欲のために殺し、奪い合い、血と破壊の歴史は繰り返された。一万年前の原点に戻ろう」

一万年祭は、抑圧されて殺された民族を弔い平和を祈る祭典です。

毎年全国から数百人もの若者がテントを持って集まってきます。

人類平和の祈りや、シンポジウムなどのほか、大きなたき火を囲みながら 飛び入り歓迎のライヴ、

アイヌの歌や踊り、ユーカラ、伝統工芸のワークショップ、輪投げ大会、運動会、

ムックリ大会など盛りたくさんの催しが行われます。

私は、一万年祭の何となくまったりとした雰囲気が好きで、都合のつく時には参加しています。 
 
今年は運良く神に祈りを捧げるカムイノミに参加することが出来ました。

さらにはオープニングのセレモニーでディジュリドゥによる奉納演奏の機会をいたきました。

ディジュリドゥは、オーストラリア大陸の先住民アボリジニの楽器で、宗教儀式や治療のために使われたといわれています。

かつてアイヌの人たちも、エゾニュウという植物で作ったヘニュードというよく似た楽器を使っていました。

ディジュリドゥの響きが、世界平和の祈りとなって届くことを願いながら演奏させていただきました。

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訪れる人もいなくなったアイヌの鉱泉でのディジュリドゥによる奉納

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7月17日と18日、余市のコンドミニアムエマで、1泊2日の中健次郎先生の気功合宿が開催され、

たくさんの方に参加いただき盛況でした。

今回、初公開の李和正老師の奥義の伝授はとても興味深いものでした。

お陰で気功の幅がひろがりました。

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今回は坐禅断食の最中に、熊本地震が起こりました。

食物の有難さを一番感じていたときに、現地から食料SOSの連絡が入りました。

いてもたってもいられなくなり、その場で参加者で支援募金を行いました。

集まったお金は、いち早く現地入りしたNPO法人MAKE THE HEAVENに託しました。

がんばってください。

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